[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

伸びた前髪/武闘派剣士(29)×文芸派学士(26)/洋風ファンタジー

   ■

その男は、気配を消すのが猫並みに上手い。いつも背後からそっと忍び寄って、突然触ったり声をかけたりしてくるものだからどきっとする。何度止めろと言っても、反応が面白いからといって止めないあたりが小面憎い。
今日も今日とて、テラスで資料を読んでいるところにやってきて突然髪を触られた。慣れたとはいえ、やはり一瞬身が竦む。
「突然躯に触れるのは止めて下さいと、一体何度申し上げればいいのでしょうね? 貴方という人は――」
「何度でも聞きたいね。あんたの声は怒声でも罵声でも耳ざわりがいい」
溜息を吐きながら手を払い除けても、全く意に介する様子も無く笑っている。日に焼けた肌の色は、故郷の麦畑を思い出させた。無駄なく筋肉を纏った長身、ぞんざいに縛った髪にぞんざいに羽織ったマント。それがだらしなく見えない――むしろ野性味と色気を醸し出しているのが、この男の魅力なのだろう。
「邪魔をしないで下さい、任務中です。殿下の今期の教育カリキュラムを明日までに陛下に提出しなければならないのです」
「そっか。皇子の教育係は大変だな」
「他人事のように言わないで下さい。貴方だって同じ立場でしょうに」
「馬術と剣術に関してはもうオレが皇子に教えることは何もない、と申し上げたらそれで終わった」
「ああそうですか。自分の仕事が終わったからって、同僚の邪魔をするとは結構な趣味ですね」
「同僚の邪魔をしてるんじゃない。惚れた相手との他愛も無い会話を楽しんでるんだ」
「それじゃ輪をかけて悪趣味ですね」
またいつもの会話だ。『好きだ』『惚れてる』『愛してる』、果ては『抱きたい』――この男の血迷った台詞を毎日毎日聞かされて、もう慣れっこになってしまった自分が嫌だ。初対面で一目惚れされたらしいが、一体自分の何処にそんなに惹かれるというのか。もうとうに、それを追求することは諦めたけれど。
無視して書類に眼を戻そうとした時、つと前髪をひと房摘まれた。手を払う暇も無く、奴はそこに唇を寄せた。
「髪、伸びたな。初めて会った時には肩までなかったのに――もう、二年経つもんな」
「……」
隙を衝かれた。だが奴はそれ以上何かしようとはせず、邪魔してごめんなと呟いて、来た時と同じように静かに去って行った。
後姿を見るとはなしに見送る。隙の無い颯爽とした身のこなし。厚手の丈長のマントもかなりの重量な筈の腰の長剣も、まるでその男の体の一部のように馴染んでいる。皇子の武術指南役――この国きっての武人。隙の無い身のこなしも、気配の消し方の上手さも道理なのだ。

出逢って二年。
この国に、皇子の教育係として潜り込んでから、二年。

ここまでくるのに、二年かかった。王族の信用を得て、誰よりも皇子の信頼を得て、もう誰も自分のことを疑う者はいない。
もうすぐだ。――もうすぐ自分は、自分に課せられた真の任務を果たさねばならない。
罪の無い皇子の笑顔を見れば良心の呵責を感じる。だが、同じく罪の無い弟が人質に取られている。自分に選択の余地は無い。
不安要素は――たったひとつ、あの男だけ。皇子の護衛官も勤め、常に皇子の傍に侍っている武術の達人。皇子を消すのに、一番邪魔な存在。
(本当は、私を見張っているのでしょう……?)
恋の台詞は自分を欺く演技に過ぎないのだ。だが、茶番ならばむしろその方が救われる。こちらも心置きなく役者として自分の役をまっとう出来るというものだ。あの男の描いた書き割りを、利用しない手は無い。
今晩、自分はあの男を自分の寝室に招くだろう。そして、二年の間のアプローチにほだされた振りをして、あの男を――。
キスされた髪を摘んで、自分の唇に持っていく。この国に来てから、任務成功の願をかけて伸ばし続けた髪。明日、この国を出る時にはばっさり切り落とすつもりだ。この二年の間に心に宿した、情と柵(しがらみ)とともに。

その日を。心待ちにしていたはずなのに。
何故。
何故、この髪を切る日が永遠に来なければいいのにと、心のどこかで願う自分がいるのだろうか――。

   ■
【03.涙の瞼】へと続きます