涙の瞼/武闘派剣士(29)×文芸派学士(26)/洋風ファンタジー

【01.伸びた前髪】の続編です
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こんな形でしか、傍に居られない。そういう風に廻りあってしまった。

「貴様を、殺してやる――必ず、殺してやるっ……」
三日前から、こちらが何を語りかけても答えない。たまに形のいい唇を歪めて出て来る言葉といえば、こんな極上の呪詛ばかり。それでもその声が色っぽくてぞくぞくきちまうあたり、相当自分も狂ってる。
「どうやって殺す? 毒殺? 絞殺? 刺殺、それとも撲殺? いっそ呪殺ってのもありかもな、今のお前なら結構出来そうだぜ」
「……」
「こっちの問いは黙殺か。って、シャレてる場合じゃねえな…」
国境の関所が見えてきた。普段は検問といっても形ばかりのおおらかなものだが、今日は衛兵の様子もやや緊張気味なのが遠目にもわかる。それはそうだろう――この国の皇太子付きの教育係が二人、謎の失踪を遂げたのだから。
失踪した一人は、外国からわざわざ招聘された、眉目秀麗な理数学教師。――たった今、俺の腕の中で呪いの言葉を吐いていたこいつ。
そしてもう一人が、腕一本で成り上がった、兼護衛官の剣術指南役。――オレだ。
駆け落ちさながらの突然の失踪は、一体王宮ではどう捉えられたのだろうか。神隠しに遭ったとでも思ってくれていれば嬉しいのだが、それも無理な注文だろう。
だが、出来ることなら皇子にだけはそう思っていて欲しい。あの純真で高貴な少年に、真実を知らせるのは辛い。――だから、何も残さずに王宮を出てきたのだ。
ともかく、三日経った今でも自分たちの失踪は公にはされていない。だが、密かに捜索命令が出ていることは間違いない。街や街道では捜索隊らしき者をしょっちゅう見かけたし、街門では普段は無い検問が行われていた。
それらを潜り抜けて、やっと国境まできたのだ。ここを越えさえすれば、あとは――。
御者役をやってくれている親父が振り返り、オレの目を見て頷いた。親父と呼んではいるが、血の繋がった父ではない。だが孤児(ストリートチルドレン)だった自分を拾って、愛情と厳しさをもって育て上げてくれた、実の父にも勝る存在だ。たった一人の、家族と呼べる人――その人にこんな役をさせてしまったことも、やはり心が痛む。
「いいか、何も喋るなよ……頼むぜ」
ベールの下の耳に囁くと、腕の中の華奢な躯が僅かに身じろいだ。膝掛けの下の両手はきつく戒められ、自由を奪われている。ベールに隠された表情は口元しか見えず、その唇はきつく結ばれて――予想通り、返答はない。
「つまり、オレの言ったことをよーくわかってるってことだな。ものわかりのいい男は好きだよ。実際、オレはあんたに惚れてるけどな」
脇腹に突きつけている短刀(ダガー)を軽く押すと、ぎりっと歯の軋る音が聞こえた。出来ることなら脅したくなどないが、他に方法はないのだ。
「よし、そこの馬車、止まれ――」
検問の順番が廻ってきた。衛兵の形どおりの質問に、親父が形どおりに答える。
「後ろに乗っているのは?」
「私の主人(あるじ)、ゴート夫妻です。――新婚でしてね、故郷で式を挙げて、今から国に帰るので――異国風の花嫁衣裳でしょう?」
衛兵の視線が『花嫁』に注がれた。ベールの下の顔を覗き見るような仕草――。
「震えないでいい――心配要らないよ、愛しい我が妻よ」
オレは腕の中の『花嫁』の顎を掴み、強引に唇を重ねた。美貌の眉間に苦しげな皺が寄り、躯が強張る。だが、抵抗はしない。ベールに隠れ、衛兵からは短刀は見えない。『花嫁』の表情も。――唇を離し、『花嫁』の顔を隠すように抱き寄せる。
「……妻の顔は見ないで下さい。三日を過ぎるまでは夫以外の男に顔を見せないしきたりですのでね。見られてしまうと、見た男と妻の両方を姦淫罪で殺さなくてはいけなくなるのです。それが怖くて、妻はこんなに怯えているのですよ」
困ったような笑顔でそう言うと、「もういい――行け」と呆れた声で手を振られ、それで検問が終わった。
馬車は再び走り出した。関所を抜け、国境を越え――…
「悪かった――もういいぞ」
ほっと息を吐いて、腕の力を緩めた。しかし、腕の中の躯は脱力したまま、身を起こそうとしない。「おい?」と顔を覗きこむと、その頬に一筋の涙が伝っていた。
「……」
胸に杭を打ち込まれるような痛み。――それを悟られまいと反射的に言葉が出る。
「――泣き顔も悪くないな。思わず、もっと泣かせたくなる」
ベールを上げ、涙の瞼にキスをしても抵抗されなかった。吸い寄せられるように、もう一度唇を重ねる。二度、三度――閉じた瞳から、新しい雫が零れ落ちる。決して心を許さぬ、きつく引き結ばれた唇。それでもその柔らかさは、オレを酔わせる――。
「! ……」
――鋭い痛みと共に、口の中に広がる血の味。唇を離した瞬間、顔に唾を吐き掛けられた。涙を湛えた瞳が、ありったけの憎悪を込めてオレを睨んでいた。涙で頬に張り付いた長い髪。こんな状況でもその美貌には翳りが無く、思わず惚れ惚れと見惚れてしまう。
夕暮れの空色の瞳。雲のように白い肌に、太陽の降り注ぐ大地の色の髪。――初めて見た瞬間に、その風貌に惹き込まれた。自分から誰かを欲しいと思ったのは、初めてのことだった。
無骨な自分に、気の利いた口説き文句など無理だ。だからずっと、愚直なまでに想いをそのまま伝え続けた。『好きだ』と。二年間。想いは募っても、薄れることはなかった。
だからだろうか、いつからか何となく察していた。教師の裏に隠された、彼の真の使命を。――自分の疑惑が、当たっていなければいいと願っていたのに。

『皇子を殺させるわけにはいかない――オレは、あの子が好きなんだ。あの子に立派な王になって欲しいからな』
それは事実だ。そして、皇子以上に、こいつに心底惚れちまってるのも。
『貴方は私が好きなのでしょう……? なら、私の邪魔をしないで下さい。もしも見逃して下さるのなら、私は、貴方のものになってもいい……』
当初は、オレを騙して出し抜くつもりだったのだろう。だがその計画が狂うと、今度はオレを懐柔しにかかってきた。凄絶な笑みを浮かべたこいつのあの時の表情を、忘れることはできないだろう。
『今夜だけ私を自由にしてくれるのなら、私は明日からの残りの人生の全てを貴方に捧げます。自由も何も要らない……貴方の望むとおりに生きます。これが生涯一度の私の望みです。……愛する者の望みを、叶えてはくださらないのですか……?』
――殺し文句とはまさしくこういう台詞なんだろうな。惚れた相手にこんな言葉を言われちまって、オレの頭の半分は確かにその台詞に酔っていた。だが、残りの半分はしらけるほどに醒めて、冷静に聞いていた。
『――別に捧げてくれなくてもいいさ。オレは、欲しいものは自力で手に入れるから』
……やっぱりオレには気の利いた台詞は無理なんだなと、その時頭の片隅で思っていた。

「うっ……、く――……あ、はぁっ……」
そして、今。オレは、二年間欲しくて堪らなかった躯を、抱いている。
親父とは街に着いた時に別れた。宿屋のベッドの上、借りた花嫁衣裳を破り脱がせて裸にして。そのなめらかな肌の隅々まで、舌と唇で愛撫を繰り返す。――勿論、オレと繋がる柔らかな場所にも。
「止めろ――っ……そんな、ところっ、舐めるなんて――……貴様は、畜生以下だっ……!」
「濡らさなかったら、痛みが増すだろ……ただでさえキツいんだから」
唾液で濡らした襞の中にゆっくり指を挿れて解きほぐすと、華奢な痩躯がしなり、切なげな息遣いの密度が増した。手首を縛り付けている安物のベッドの柵がぎしぎしと鳴る。殺したいほど憎んでいる相手に犯される屈辱――だが、それでも奴の中心から濃密な蜜が滴り落ちていることに、オレは言いようの無い喜びを感じる。それが、オレの想いが届いている証拠だと信じたいから。
「あぁっ……り――陵辱するなら、さっさとしろっ……こんなこと、早く、終わらせ……ぁあ、んっ!」
「随分と色気のあるねだり文句だな。そういうところ、堪らなくそそるぜ――」
奥まで舌で唾液を送り込み、充分に滑らせる。それから細い腿を押し広げて、反応を見ながら熱い楔を沈めていった。――流石に三日目ともなれば、初日よりは馴染んできた気がする。それは、オレの願望がそう思わせているだけかもしれないが。
「……気持ちいいな、お前ん中は、あったかくて……」
「や――っ…う、ああぁ、そこは、やめ――っ…!」
感じどころはもうわかっている。敏感な肉壁を先端で擦るとびくびくと腰が揺れ、粘膜が卑猥な音を立てた。奴の先端からはさらに蜜が溢れて、糸を引きながら白い腹に滴り落ちた。……こうなると、オレも理性がぶっ飛んでしまう。柳腰を抱え上げ、本能のままに腰を打ち付け、何度も奥まで貫く――。
「あぁっ! あ、あ――お…ぼえていろ――こんな、辱めを受けてっ、…ぁ、あ!」
三日前の夜。オレはこいつを強引に抱いて、気を失わせて、それから拉致した。
好きで負った使命ではないはずだ。それでも、こいつには命を懸けても皇子の暗殺をやり遂げねばならない理由があった。――たった一人の弟を、人質に取られていたのだ。
成功すれば、弟の命は助かる。――だが、こいつはどうなる? 成功しても失敗しても、こいつには血塗られた未来しかない。
ならば、オレが選ぶ道は決まっていた。どんなに憎まれてもいい――こいつが生きて、オレの傍に居るのなら……。

『……国を出る時、弟は私をいつまでもいつまでも、姿が見えなくなるまで見送ってくれた……男なのだからと涙を堪えて、手を振って――』
『手紙には……元気でやっていると、自分も立派な学者になると、いつもそう書いて――』
『自分を愛してくれていると信じていた人間に裏切られて、殺される――どんなに恐ろしく、哀しいだろう……弟はまだ、十二なのに……!』

「――――貴様を、一生、許さないっ……。……必ず、必ず、殺してやる――――っ……!!」

……計画が成功する可能性は、はじめからゼロに近かった。こいつに皇子暗殺など、このオレが絶対にさせない。だから、どのみち弟は助からなかったのだ。――オレは確信を持ってそう言えるが、そんな事実がこいつにとって何の意味もないこともわかっている。
弟を喪ったこいつは、自分を責めるだろう。自分も弟の所へ行って、詫びを入れようとするかもしれない。実際、三日前の夜にはそんなことを言っていた。弟を喪った世界にいることは、自分にとって苦しみでしかないと。
ああ、オレにはその気持ちが痛いほど良くわかる。お前を喪った世界なんか意味が無い。
嫌だ。絶対に嫌だ。オレは、お前を喪いたくはない。
生きる目的、それが復讐でも何でもいい。
憎む相手が必要ならば、それでお前が生きていけるのならば――――……。

「……手首が、擦れて痛い。ずっと戒められていたんじゃ、手が使い物にならなくなる……」
「そうしたら、オレがお前の手になってやるよ。下の世話でもなんでもしてやるから、安心してろ」
「私を何も出来ない人形にして、意のままに玩んで、満足か……?」
「自由にしたら、オレを殺すんだろ? それじゃ外せないな。――それに、玩んでなんかいない。お前のことを愛してるだけだ」
「貴様の減らず口は聞き飽きた」
「キスして口を塞げば黙るぜ」
「死ね」
今、オレたちはこいつの故国へ向かっている。弟を殺した軍人に復讐をするため、そして、弟の死を確認するために。そうしろと言ったのはオレだ。こいつは今、その男とオレへの憎悪を糧に生きている。
汗にしっとりと濡れた躯を抱き締める。二年間夢に見続けた時間は、思い描いていたような甘いものとはならなかった。だが苦味を秘めた蜜は、それでも自分をこんなにも酔わせる。たとえ愛しい者の涙に、心がぎしぎしと痛んだとしても。

――わかっている。『憎む相手が必要だ』なんて、本当は自分の卑劣さを正当化するための詭弁に過ぎないのだと。
どんな形でも、手に入れたかった。苦しめても哀しませても、喪うことに耐えられなかった。ずっと傍に居て欲しかった。
こんな形でしか、傍に居られない。そういう風に廻りあってしまった――いや、違う。
そういう風にしか、自分は愛せなかったのだ。
憎まれて当然だ。許されなくて当然だ。殺されて、当然だ。
それでも、いい。

「――愛してるよ……」

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