隠れた耳/大学院生(23)×大学院生(24)/年下後輩攻め
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なんで、約束なんかしちゃったんだろう。
「――先輩。一緒にシャワー浴びません?」
――冗談だろ。そんな、恋人同士みたいなこと。大体、お前にこれ以上躯見られんのやだし。
「……眠っちゃったんですか?」
――眠れるかよ、この状況で。いや、躯も心もすげーどろどろに疲れてるけど、眠れる訳が無い。眼を瞑っているのは、自分の置かれた状況を正視したくないからだ。もとい、今、お前の顔を見たくないからだ!
「……ま、いいか」
――よくねえ、ちっともよくねえ! どうすんだよ、こんなことになっちゃって、オレ、これからどうすんだよ!?
あああああ。
なんで、あんな約束しちゃったんだろう、オレ。もう今更後悔したって後の祭りだって、分かってるけど。
すぐ背後で、あいつが動く気配とシーツが擦れる音がした。ベッドの端っこでブランケットひっかぶって丸まってるオレの躯に、人の体温で温まった空気の振動が伝わってきた。何も身に付けない裸の肌は、こんなにも敏感に熱を感じ取るものなんだと、初めて知った。
枕に顔を埋めて、オレは、もう昨日から何度したかわからない後悔をまたしみじみと繰り返していた。
――いくら切羽詰っていたからって、なんであの時、『わかった』なんて言っちゃったんだろう。こいつに送ってもらわなきゃ、面接に間に合わなかったのは確かなんだけど。送ってもらってものすごく助かったし、お陰で面接にも受かったし、それは感謝しているけれども。
こいつがゲイだってホモだって全然構やしない。オレにとって可愛い後輩には違いない。懐いてくるのはそれなりに嬉しい――がしかし、オレを恋愛対象に入れるのだけは正直勘弁してくれ。
『――オレ、ずっと先輩のこと好きでした。恋愛対象、セックスの対象として、好きでした。だから、抱かせて下さい』
卒業式の後に呼び出されて何を言われるのかと思ったら。第二ボタンならまだしも、卒業記念に後輩(男)に貞操やる男がいたら見てみたい。冗談だとしても笑えないし、冗談じゃないなら困る――呆気にとられながらもそう言うと、わかりましたとあっさり引き下がった。
『でも、本気ですよ。これからもずっと変わりません。オレは先輩が好きです。だから、大学も先輩と同じ所に行きますから――』
あの時のこいつの、にまっと笑った表情が忘れられない。引き下がる気なんか全く無かったわけだ。一年後、本当に同じ大学の同じ学科に合格したと報告に来た時は、素直に嬉しかった。卒業式の時の告白を忘れた訳ではなかったが、冗談だったのだろうと忘れた振りして、高校時代の後輩とまた同じ校舎に通えることを素直に喜んだんだ。――が、しかし。
『先輩。オレの気持ちは変わってません。――好きです。抱かせて下さい』
……そういえば、こいつは粘り強い性格だった。自分の納得がいく結果が出るまで、手を変え品を変え検証を繰り返して、最後まで絶対に諦めない性格だった。ちなみにオレたちの高校時代の部活は生物部で、今は理学部の自然環境学科生物環境科にいるわけだけれども。
嗚呼、自然環境学では環境ホルモンによるオスのメス化が叫ばれて久しい訳だが、まさか自分がメスになることを迫られるなんて。確かにこの世には、自然に性転換する生物も存在する。しかしそれは魚類や両生類の一部の話で、それも殆どがメスからオスであって、逆は見かけられない訳で――。
『別に性転換しなくても、同性愛行為が認められている生物はたくさんいるでしょう、哺乳類にだって。先輩に女役やれっていうんじゃないですよ。オレが女役だって構いません。そんなのはどうでもいいんです――先輩とセックスできるなら』
冗談じゃない。男同士なんて、オレの本能が否定する。それに、『付き合って下さい』ならまだしも、何でいきなり一足飛びにそうなるんだよ。
『だって、オレの本能は男を求めてるし、中でも特に先輩がいいって訴えてるんですからしょうがないです。先輩の横顔とか指とか、見てるの好きだし、見る度に好きだなあって思います。好きだなあって思うたびに、もっと先輩の躯が見たくなります。見るだけじゃなくて、触りたくて、抱き締めたくて、舐めたくて、もっと色んなことをしたくなる。――好きだから抱きたいって、いけないことですか? 先輩が好きなのも、先輩を抱きたいのも、どっちも本音です』
……。そんなことを言ってたって、時間が経てばきっと諦めてくれるだろうと思ってたんだ。だがしかし、オレはこいつの執念深さを侮っていた。
それから五年。今まで通りの付き合いながら、何かの折に触れてこいつは『好きです』とオレに言ってきたけれど、無理に迫ってくるようなことはしなかった。言われ続けているうちに、オレはもう挨拶みたいなもんに感じて受け流して、こいつだってもう本気じゃないんだろうって思ってた、のに。
昨日。大本命の就職の最終面接で、オレは世紀の大失態をやらかした。寝坊して、遅刻しかけたのだ。普通に電車で行ったら確実に間に合わない――家の前で青ざめているその時に、丁度良くこいつがバイクで通りかかったりしたもんだから。
『……送ってもいいですけど、代わりにオレに先輩を抱かせてくれますか?』
そりゃないだろ――と思ったが、背に腹は変えられない。面接のことで頭が一杯だったせいもある。そう言った時のこいつの顔は、卒業式で見たのと同じ笑顔を浮かべていた、気がする。面接が終わって表へ出ると、こいつはそこに待っていた。さあそれじゃ約束どおりホテルへ、と手を引かれ、一日だけ心の準備をする時間をくれと頼み、そしてまあ――今に至る訳で……。
「っっわぁっ!!」
突然耳元に触れられて、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。気付けばいつの間にか、諸悪の根源が背後からオレの上に覆い被さるように覗き込んでいる。ブランケット越しに耳を甘噛みされたと気付くのにコンマ数秒かかった。慌てて振り仰ぐと、悪戯っぽい眼がオレを見下ろしていた。
「ななな何すんだよっっ!!」
「なんだ、やっぱり狸寝入りですか――先輩、一緒にシャワー浴びましょう」
「一人で浴びて来いよっ! オレは後でいいから――」
「もしかして、その間にこっそり帰ろうって考えてませんか?」
なんでそういうところは勘づくんだよ、この野郎。オレの今の複雑すぎる気持ちは全然わかってないくせに。答える代わりに、オレはもう一度ブランケットを頭の上までひっかぶって、一層躯を丸めた。
――――オレは、……オレは、今までの関係が一番良かったのに。なんで、壊しちゃったんだよ。終わらせちゃったんだよ。
『先輩、好きです――大好きです』
五年間、言われ続けた言葉。いつの間にか、言われるのが当たり前になってた。こいつに好きでいてもらえるのが、当たり前になってたんだ。ずっとずっと言われてて、いつの間にか、それがすごく当然で、心地いい状態になってた。
だから、オレは、ずっとそのままでいたかった。こいつに抱かれたくはなかった。――もしも抱かれたら、きっともう、こいつは今までみたいにオレを求めては来ないだろうから。もしかしたら、それでもう満足か失望かしちゃって、オレの事に飽きるかもしれないから。
本当に眼を背けたかったのは、自分の狡さからかもしれない。こいつのこと、後輩として以上には好きじゃないのに、こいつに飽きられるのは嫌だなんて――……。
「ね、先輩。シャワー浴びて、もう一回しましょう。それが嫌なら、このまま二回戦に入ってもいいですけどね」
ブランケットの下に隠れた耳にもう一度キスが落とされて、低い囁きが流れこんできた。……笑えない冗談だが、こいつは声だけは男のオレでも聞き惚れるほどいい。それは、前々から思っていたけれど。
だけど、何でオレは逃げずにここまできてしまったんだろう。服を脱がされるのに抵抗しなかったんだろう。体中にキスされて、躯の中まで指で弄繰り回されて、気持ち悪いとは思わなかったんだろう。
約束なんか、守らなくても良かったのに。
逃げようと思えば、逃げられたはずなのに――。
「これっきり――とは言わせませんよ、先輩。やっと捕まえたんだから」
そう言われ、え? と思った瞬間にブランケットを剥ぎ取られた。腕を掴まれ、仰向けに転がされてキスされる。――強引なキスだったけれど、嫌だとは思わなかった。舌を絡め捕られて、また躯がかあっと熱くなる――。
「先輩。好きです。大好きです」
…………聞き慣れた台詞なのに。なんでオレは、心臓がばくばくいってんのかな。
『後輩以上に、好きじゃない』――――。
本当に?
本当に、そうなのか――?
オレの混乱を知ってか知らずか、あいつはぎゅっとオレの躯を抱き締めた。
直に触れ合う肌と肌。柔らかさと、熱と。――胸の奥からこみ上げる、何か。
もしかして、終わったものはないのだろうか。
これは、終わりじゃなくて、始まりなのかな。
オレはおずおずと腕をあげると、オレに覆い被さっている男の背中に手を回した――……。
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