『好きだ――――ずっと、好きだったんだ』
 最初に惚れたのは、一体どちらが先だったのだろう。うつうつと夢の世界から戻りながら、拓海はぼんやりとそんなことを考えた。
 眼を開けると、すぐ目の前に昂の寝顔があった。微かな寝息を立て、穏やかな表情で、泥のように眠っている。顔色が悪く見えるのは、乱れた髪が落とす影のせいではないだろう。
 何回やったかわからない。飢えと渇きを満たそうとして、幾度も激しく攻め立てられ、互いに何度も昇天した。だが、苛烈ではあったけれども、昂の両腕は優しかった。拓海を快楽に導こうとする優しさがあった。こんなにぎりぎりの、余裕がない精神状態で、一体どこからその優しさが出てくるのだろう――そう考えると、拓海の心も躯も涙と共に融け出して、今までとは比べ物にならないほどの快楽に、我を忘れて溺れきった。
 天井を見上げて、眩しさに顔を顰める。まだ煌々と部屋の灯りが点いている――消す暇もなかったのだ。スイッチを切るために起き上がろうとして、拓海は腕を掴んで引き戻された。――そのまま、昂に抱き竦められる。
「……起こしちゃった?」
「……」
 昂は答えず、変わらず安らかな吐息を立てて――それでも腕はしっかりと拓海を抱き止めて、眼を閉じている。起きているが答える気力もないのか、それとも一瞬だけ眼を覚ましてまた本当に眠ってしまったのか――。
 拓海に己を突き挿しながら、幾度も幾度も繰り返し、昂は『好きだ』と言ってくれた。その(こだま)が、夢の中までも響いていたのだろうか。顔を上げ、髭の伸びかけた昂の顎を見つめて、拓海は初めて昂――先輩≠ノ全てを曝け出した時の事を思い出していた。
 高校時代、二つ上の先輩は学年で一番かっこよくて、拓海は心底憧れていた。かっこいいのに彼女がいないのはなぜだろうと皆が不思議に思ったが、『縛られるの嫌なんだよね』という台詞に妙な説得力があったため、まさか先輩がゲイだとは誰も気づかなかった。……よくも騙してくれたもんだ。
 傍目には普通の先輩後輩として、先輩に可愛がられていた。大学を先輩と同じに決めたのは、だからという訳ではないが、今にして思えばそれも、心のどこかに先輩の側にいられるといいなという願望があったのかもしれない。
 だが拓海には、高校の頃から、告白されて付き合っている彼女がいた。客観的に見てもそこそこ可愛い子だったと思う。決して嫌いじゃなかったが、躯を重ねることに苦痛を感じている自分がいた。その滑らかな肢体から発せられる女の『匂い』に、どうしても性的魅力を感じられない――――自分は、同性にしかそれを感じることが出来ないのだと納得させてくれたのが、他ならぬ先輩、昂その人だった。
『本当は、高校の時からずっと、狙ってたんだ――』
 そう言ってくれたのは昂だったが、それは拓海が心の奥底に押し隠してきた、偽りのない欲望に他ならなかった。
 本当は、ずっと先輩のこと、先輩としてじゃなく、それ以上に――大好きでした。先輩に、欲情してました。ずっと、先輩が欲しくて、先輩と抱き合いたくて堪らなかったんです――――。
 互いに同じ気持ちだったと知って、嬉しくて嬉しくて、どうしてもっと早く告白しなかったんだろうなと、二人で笑いあったのに。
「……昂…」
 溜息のように名を囁いて、それから拓海は――昂のややこけた頬に、唇を寄せた。昂は、やはり起きていたのだろう、ゆっくり腕を上げると拓海の髪を宥めるように軽く撫でた。うっすらと微笑んで、……それでもまだ眼は閉じている。
「いい夢だなあ……続きは?」
「……」
 拓海は、昂の耳朶に、額に、瞼に、それから唇に――順繰りに口唇で触れていった。昂は擽ったそうな嬉しそうな笑みを漏らし、拓海の頭を抱き寄せた。
「久し振りに熟睡した――夢見たのも、久し振り…やっぱ、お前の側が一番落ち着くなあ…」
「……大阪で、寝る暇もないの?」
「まあね…もともと、枕変わると寝付けない性質だから。でも、なんていうかなあ……お前の匂い、安心する。お前の側以外じゃ、もう眠れないかも」
「……お前、結構神経質だもんな」
 照れ隠しについ言ってしまったが、昂が神経質なのは事実だった。神経質の見栄っ張りのええかっこしい、そういう男なのである。身だしなみにも人一倍気を遣うし、無防備に気を抜いただらしない格好は絶っ対に他人に見せたくない! という性格の持ち主だった。だからこそ、汚れた靴と皺の寄ったスーツで帰ってきた時の拓海の衝撃は大きかったのであるが。
「うん。――――拓海、オレ、今まで、拓海以外の奴に寝顔見せたことないんだよ。寝てるとこ見られるの、嫌なんだよ」
「……」
「だから、会社の奴らの前で無様に倒れたりとかすんのも絶っ対にやだし、絶対にそんなことしないから」
「……」
「……お前が辛い時、側にいてやれなかったのは済まないと思う。次は――帰ってくるから」
「そんなこと…」
「出来るよ。お前が、三時間を耐えてくれるなら出来る――――拓海」
 真っ直ぐに拓海の眼を見つめて、昂はそう、力強く言った。
 不安と寂しさに苛まれているのは、自分も昂も同じことだ。553キロの隔たりは、それほどまでに大きなもので、三時間という時間は、待つ身には永遠に思われるほどに永い――――。決して、『たったそれだけ』なんて言えるものじゃ、ない。
 ケーブル越しの文字や声に、無限の力などない。優しい愛の言葉だけじゃ、今、苦しみに打ちひしがれている大切なお前を守りきれない。
 言葉なんて要らないから、ただ、黙って、側にいて欲しい。そんな夜は、必ず誰にも訪れる。お前にも、オレにも。いつだって、誰だって、毎日生まれ来る新しい孤独の前に、たった一人で晒されているのだから。
 だからこそ――――だから、こそ――――――――。
「……三時間も、オレは、待てないよ」
「拓海――」
 呟いた後、ひたと昂の目を捉えて、拓海は昂に負けない位の力強い声で言い放った。
「待てない。待たない。辛くなってからじゃ遅い――そうなる前に、耐えられなくなる前に、大阪に乗り込んでやる!」
「……は」
「この見栄っ張りのええカッコしーがっっ!! なあにが『絶対』だよ、そんなにやつれて説得力皆無だってんだよ! 仕事のことには絶対に口出しなんかしねえけど、健康のことには干渉しまくってやる!」
「……拓海」
「覚悟しとけよ、次に風邪引いたら這ってても大阪まで行ってお前に移して治すから!! んで、風邪をこれ幸いとお前を休養させて、人目も憚らずべったりつきっきりで看病してやるっっ!!」
「…ぶはっ」
 眼を瞠って拓海の剣幕に圧倒されていた昂だったが、思い切りよく噴くと枕に顔を突っ伏してくっくっと笑い出した。
「いいなあ、それ……うん、いい、サイコー。拓海ぃ、看病してくれるんだったら、勿論ナースコスしてくれるんだろうな?」
 眦に涙を浮かべて、楽しくてしょうがないという表情で拓海の顔を盗み見る。もう勢いがついて今更止められない拓海は、
「あーしてやるとも、ナースコスだろうがお医者さんごっこだろうがどんなプレイでもやってやるっ!!」
 半ばヤケクソで言ってしまった。……言いながらすでに『うっぎゃあしまったオレのアホーっっ!!』と思いつつ――。
「かっかわりに、お前病院内で変な噂が立って、それが会社に伝わってクビになっても、オレのせいにすんなよ!?」
「うん、絶対しない。つーか、そんなおいしい目に遭えるんなら、むしろ喜んで辞表出すかもしんないなあっあーくるしいっっ」
 ……笑いながら片手で目を押さえて、昂は寝返りを打って天を仰いだ。目尻に笑い皺を寄せて――帰ってきてからはじめて見る、昂の心からの笑顔。つられて拓海も笑顔になる。――自分もずっと笑っていなかったと、その時気付いた。
「馬鹿じゃん、折角高い倍率勝ち抜いて就職した大手なのに、そんな簡単に辞表出す奴があるかよ――いい加減笑うの止めろっ」
「大丈夫、オレ仕事出来るし、もっといいとこ転職する自信あるから――……あ〜もういいや、ばらしちゃえっ。実は春に転職する予定なんだよ」
「……はあああっっ!!?」
 今度は拓海が目を丸くする番だった。昂は脱ぎ散らかしたスーツに腕を伸ばし、シガーケースを取り出すと煙草を引き出して火を着ける。ひと息煙を吐き出してから、
「まだ仮内定だけどな。来週か再来週末あたりに面接行って、多分内定貰えると思うんだけど、もともと今のところはスキルアップしてから転職する予定だったから――関わってるプロジェクトも春までにはリリースして落ち着くし。内定先は今のとこより年収上がるし、それに何より、一年半ぶりに東京に戻ってこれるぜ!!」
 小さくガッツポーズを決め、嬉しそうにそう言った。
「――――そんなこと、今まで……一言も」
 唖然と見つめる拓海から、ちょっと気まずそうに視線を逸らすと、
「内定貰えたら言おうと思ってたんだよ。――だって、先に言って、万が一落っこったらすげーカッコ悪いじゃん」
「こ、この見栄っ張り…っ」
「驚かせて喜ばせようと思ってたんだよ! そんで、あと三ヶ月弱だから頑張ろうな、て言おうと思ってたらいきなり別れ話なんか持ち出してきたのは一体どこのどいつだ!?」
「…………すいませんでした…」
「よし!!」
 ふと目を遣り、玄関先に無造作に置かれた昂の荷物を見る。ブリーフケースと、小さな紙袋――『蓬莱本館』の文字が見えた。……そういえば、噂に名高い本舗の豚まんを食べたいからそのうち土産に買って来い、といつか自分が言ったんだった。覚えていてくれたのか――。
「……昂ぃ」
「ん」
「……お前って…お前って――――」
「惚れ直した?」
「……」
 その通りなんだけど、ばればれなんだろうけど、素直に認めるのは悔しい。だけど、先輩は昔っからそうだけど、やっぱり今でもかっこいいなあなんて、改めて惚れ惚れとしている自分がいる訳で――――。
 553キロの、孤独。
 そんなものに、負けたくはない。その先にお前が、同じ寂しさを抱いてオレを想っていてくれるのなら――――。
「…昂」
 大好きな人の名を呼んで、それから拓海は、煙草からその人の唇を奪い取った。
 
 
 
 今、すぐ、側に行くから―――――――――――。